【エンタメの世界はインナーコミュニケーションのヒントであふれている】第8回 “静かなる革命”の予感

皆さんは、藤原ヒロシ氏が2024年12月にスタートさせた『QUIET』というYouTube雑誌をご存知でしょうか?
一部ではかなり話題になっていますが、常に現在進行形の“面白い”をアート、カルチャー、ファッションなどから独自の視点で切り取っています。
目次
YouTube雑誌『QUIET』というメディアが予感させるものとは?
そして、プラットフォームとしてはYouTubeを活用しているのですが、静止画とキャプションテキストで構成されていて、いわゆる動画とは違った軸で動画メディアを活用している点に、優れたセンスを感じさせてくれます。
媒体の説明には「【誌面】で読むYouTubeの雑誌」とありますが、昨今、インナーコミュニケーションツールとして動画を活用するシーンは多々ある中で、新しいヒントを『QUIET』から探る試みを行なってみたいと思います。
2分間に込められた“余白の力”
『QUIET』という雑誌は、毎号2分前後で展開しています。おそらく2分という尺は、長く感じる・短く感じる・ちょうど良い、という印象が交差する絶妙な長さだと思います。そこを意識した上でのことだと思うのですが、かなり絶妙な設計です。
そして、特筆すべきは『QUIET』には一切音が無く、饒舌でノイジーになりすぎた現代の情報環境において、「黙って魅せる」ことに特化している点にあります。
これは、インナーコミュニケーションにおいても重要なヒントになっていると言えるでしょう。つまり、言葉にしすぎない“余白の力”があるということです。

動画メディアにおける“ノイズリダクション”という革命
ナレーションやBGMを“ノイズ”と言ってしまうと大袈裟かもしれませんが、従来の手法のように、「すべてを説明しすぎる」ことは、受け手の解釈や想像力の余地を奪っていた可能性も考えられます。
つまり、この雑誌のように、要素をあえて最小限に抑えた「静かなるストーリーテリング」が、“感性の共鳴”を引き出す可能性があると言っても良いのではないか、と。
この、驚くほど静かな、語らない、解説しない、ナレーションがない、BGMもない、テキストさえも絵的な要素の一つに過ぎないものになっているにもかかわらず、目が、耳が、そして、神経が情報を吸い込んでいく、『QUIET』とは何?
感性の奥深くまで浸透するような、“ノイズリダクション”がもたらす感度の革命を体現する、“静かなる革命家”なのでしょうか?
“語らないこと”が“語りすぎ”より雄弁になる瞬間
勿論、時と場合により、『QUIET』的な手法が必ずしも有効ではありません。例えば、明確な指示や速報性が求められる情報には、はっきりした言葉・ナレーションが必要です。
しかし、今まで見落としてきた“空気”や“気配”や“らしさ”を伝えるには、この手法はとても有効だと言えるでしょう。
とある部署の定点観測から感じ取れる、ある人物のふとした仕草、キーボードを叩く音、マグカップを持ち上げる時の目線・・・そんなシーンに、日々の業務の“気配”を感じながら、「ああ、この仕事があるから、自分の仕事も成り立ってるんだな」と思えたり、「あ、やっぱりこの職場、いいな」と思えたりする、雄弁な瞬間を感じ取ることができることもありそうです。
そしてそこには、今まで見えなかった、社内の関係性や価値をそっと浮かび上がらせる“静かなる力”が存在します。

インナーコミュニケーションのその先へ
通常の動画発信では「何を見せたい(伝えたい)か」が大きくフィーチャーされる企画が多いと思います。しかし、「どのように見られるか」の観点を前面に打ち出すことで、視覚体験そのものが主役となるアプローチになり、“見つめさせる”というインナーコミュニケーション体験を生み出すことができます。
また、現場の社員自身が自らの言葉や日常を「映像として編む」ことも可能になり、静かで余白の多い表現は、ハイテンションな演出が苦手な人にも大きな機会をもたらします。つまり、「見つめさせたい人」だけでなく、「見つめさせるのが得意ではない人」にも有効な手段となり、社内にサイレント・インフルエンサーが生まれる可能性も出てきます。
そこには、先に述べました、“感性の共鳴”を引き出す可能性が宿っています。そして、“静かなる革命”の予感が湧き上がってきます。
「多弁・網羅的」から「沈黙・余白・詩的」へ。「理解の共有」から「感性の共鳴」へと、決して単なるオシャレ動画ではない、雄弁で深いところへ刺さるインナーコミュニケーションメディアの可能性を秘めた進化が、その先にはあるのではないでしょうか。
語らないことを恐れない勇気がもたらすもの
『QUIET』的な手法を実践する場合、不安に感じる部分も多々あるかとは思います。おそらく、勇気がいることでしょう。
必要最小限のキャプションの挿入はあっても良いのですが、“絵”以外の要素を一切排除することにハードルを感じてしまうことは想像に難くありません。
しかし、大袈裟な言い方をしてしまえば革命には「勇気」も必要です。
そして、「声なき声」を拾う装置として考えてみてはいかがでしょうか。
“空気”や“気配”や“らしさ”を雄弁に語るために、あえて語らないあなたの勇気が、“静かなる革命”を起こす日は、もう近いかもしれません。


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