【エンタメの世界はインナーコミュニケーションのヒントであふれている】『孤独のグルメ』に見る「引き寄せ」の逆説

社内報ノウハウ

【エンタメの世界はインナーコミュニケーションのヒントであふれている】『孤独のグルメ』に見る「引き寄せ」の逆説

【エンタメの世界はインナーコミュニケーションのヒントであふれている】『孤独のグルメ』に見る「引き寄せ」の逆説

なぜ私たちは、ただ飯を食うだけのおじさんに釘付けになるのか

今年(2026年)4月、3年半ぶりに帰ってきた『孤独のグルメ Season11』。

もともとは深夜枠でひっそり始まり、大した反響もなく終わるだろうと思われていたこの作品は、誰も「関心を持ってもらう戦略」など練っておらず、エンゲージメントサーベイの数値目標も、SNS発信ガイドラインも、ペルソナ設計シートも一切ないまま、であるにもかかわらず、息の長いシリーズになりました。

今回は少し視点を変え、“他人に興味・関心を持ってもらう”とはどういうことか? をその原点である原作漫画に目を向けて、逆説的に紐解いてみたいと思います。

五郎は、ギャップでできている

原作の井之頭五郎は輸入雑貨商を営む、どこかハードボイルドな佇まいの中年男です。渋い肩書き、飾らない物腰。ところが、ひとたび定食屋やたこ焼き屋台を前にすると、その食欲は驚くほど剥き出しになります。格好つけていた男が、一枚の生姜焼きに本気で向き合ってしまう。

 

この「格好」と「中身」の落差こそが、五郎というキャラクターの正体であって、誰かに好かれようとして計算された結果ではありません。むしろ、計算していないことが、まる分かりになってしまっています。

原作には、五郎が見知らぬ甘味処で豆かんを食べながら、自分とはまったく違う時間を生きている人々を眺め、ふと孤独を感じる場面があります。

グルメ漫画のはずなのに、味の感想よりも先に、自分の居場所について考え込んでしまう。読者が惹きつけられるのは、うまそうな食事の描写以上に、こうした計算外の脱線の方だったりします。

これは、多くの社内報の「社員紹介」ページが陥りがちな罠と表裏一体です。役職や実績を丁寧に並べるほど、その人の輪郭はかえってぼやけていきます。「営業部長」「勤続15年」「趣味はゴルフ」——こうした情報は、その人を紹介しているようで、実はその人を隠しています。

肩書きと、その人が誰にも頼まれていないのに本気になってしまう何か。このギャップこそが、読み手の記憶に残る”人となり”を作ります。役職名の隣に、たった一行「実は◯◯にだけは異様に詳しい」と添えるだけで、誌面の中の人物は突如として立体的に立ち上がります。

これは組織で働く一人ひとりにも、そのまま当てはまります。「他人に関心を持ってもらいたい」と思ったとき、私たちはつい肩書きや実績を積み増そうとします。しかし五郎が教えてくれるのは逆のことです。

関心は、完璧に守られた鎧の隙間、つまり本人も制御できていない部分から漏れ出します。

ところが「もっと部長らしく」「もっとリーダーらしく」と部下の鎧を完璧に磨き上げようとする上司に限って、この漏れ出す部分こそを真っ先に矯正しにかかります。本人にとっては良かれと思ってのことなのでしょうが、結果的にやっているのは、その人から皆が近寄りたくなる隙間を丁寧に埋める作業だったりします。

あなたの隙間は、まだ残っているでしょうか。

モノローグは、誰にも見せていない

原作のもう一つの特徴は、五郎の心の声が延々と続くことです。しかも、他のグルメ漫画にありがちな食材の産地やうんちくは一切語られません。ただ、目の前の一皿と向き合う、一人の内側の独り言が続くだけです。

 

この独り言は、誰かに聞かせるための台詞ではありません。読者は、いわばそれをこっそり覗き見ている立場にあります。誰かに向けて発信された情報ではなく、盗み見てしまった独り言だからこそ、妙に信用できてしまう。これは、SNSの”整えられた発信”には決して真似できない種類の説得力です。

以前この連載で『正反対な君と僕』を取り上げた際、自身の弱さを開示し合う「メタ・コミュニケーションの勇気」について書きました。あれは、開示する側の勇気の話でしたが、今回はもう一段深い話です。五郎は、開示する気すらありません。それなのに、私たちは惹きつけられてしまう。関心というのは、時に本人の意図の外側で、勝手に発生するものなのです。

社内報の「編集後記」が形骸化してしまうのも、多くの場合”読ませよう”という意識が先に立つからです。誰かに評価されることを意識した文章は、どこか他人行儀になります。担当者が本当に一人で考えていたことを、飾らずそのまま漏らすくらいの体裁の方が、結果的にはよほど読まれるのではないでしょうか。

ところが、この独り言に限って「もっと前向きな表現にしてください」「弊社らしいポジティブな締めで」と赤字を入れてくる人が、どの会社にも一人はいます。

読者にその独り言で関心を持ってもらうつもりが、当たり障りのない万人向けの挨拶文に生まれ変わってしまう。五郎が心の中で「うまい」とだけ思っている場面に、もし誰かが「もっと感謝の気持ちを込めて」と赤字を入れていたら、いったいどうなってしまうでしょうか。

谷口ジローという、もう一人の五郎

作画を手がけた谷口ジローさんは、なんでもない定食屋の背景を、大変な労力をかけて緻密に描き込んでいたことで知られています。

ただの店の内装、ただの通行人。誰も気に留めないはずの一コマに、まるで大作を描くほどの熱量を注ぎ込む。あまりの大変さに、一時は「もう辞めさせてほしい」とこぼしたこともあったそうです。それでも描き続けた結果、読者の多くはその苦労にすら気づかず、ただ「なんだかうまそうだ」とだけ思って読み進めています。

誰にも気づかれないかもしれない細部に、頼まれてもいないのに全力を注ぐ。これは、五郎というキャラクター自身の食への向き合い方と、驚くほどそっくりです。作者とキャラクターが、同じ姿勢で入れ子になっているのです。

社内報の制作現場でも、費用対効果を考えれば真っ先に削られるような”誰も気づかないかもしれない細部”——一枚の写真の選び方、見出しの一文字、レイアウトの余白——にこそ、実は作品全体の説得力を底上げする力が眠っています。

面白いことに、こうした新しい細部に予算も時間も割こうとしない決裁者に限って、「去年と同じフォーマットかどうか」だけは誰よりも厳しくチェックしてきたりします。

誰も気づかない背景に情熱を注ぐ描き手と、誰も気にしていない過去との整合性にだけ情熱を注ぐ決裁者。同じ”こだわり”でも、向いている方向が真逆であることに、当のご本人はまず気づいていません。

エピローグに代えて

「関心を持ってもらおう」と力むほど、組織のコミュニケーションは空回りします。発信量を増やす、見せ方を工夫する、キャラを立てる——そうした努力の前に、一度立ち止まって考えてみる価値があります。見せるつもりのない部分を、どれだけ隠さずにいられるか。

自分の中の”完璧な自己紹介”は、本当に誰かの関心を引いたことがあったでしょうか? 上司の手で「もっと見栄え良く」と整えられてしまった部分は、果たして何を守るための修正だったのでしょうか?

関心とは、追いかけるものではなく、こぼれ落ちるものに勝手に集まってくるものだとしたら——自分の何を、隠さずにいられますか。次号の社内報、去年と同じフォーマットを壊してみたら、何が起きるでしょう?

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