【エンタメの世界はインナーコミュニケーションのヒントであふれている】第12回 十月堂という“誠実なコミュニケーションの探求”の場

目次
“あなたの状況を理解しようとしている”という姿勢
“背景”や“プロセス”、そして“思い”に敬意を払うということ
第30回 手塚治虫文化賞 マンガ大賞を受賞(発表は2026年4月27日)した『本なら売るほど』。
この物語は“十月堂”という古本屋を舞台に、単なるビブリオに留まらず、“本”という物体が、人と人との想いを繋ぐバトンとして描かれていて、「古本屋の話」ではあるものの、「本を売る話」にはなっていません。本が売れなくなった時代に、それでもなお“本を売ろうとしてしまう人間の奇妙さ“を静かに、確実に炙り出す物語になっています。
しかしそこには、“静かな肯定感”があり、派手な事件は起きないものの、本を通じて登場人物たちが自分の内面と向き合い、少しずつ前を向いていく過程が、読者自身の心も解きほぐしてくれる物語になっていて、“押し付けがましくない癒やし”となっていきます。
じっくりと読んでいくと、そこには“形骸化した言葉に、いかにして再び命を吹き込み、他者へと託すか”という、“極めて誠実なコミュニケーションの探求”が見えてきます。
本稿では、そんな“十月堂ワールド”をインナーコミュニケーション視点から探ってみようと思います。
“データ”だけではなく“物語”を見る
十月堂では、持ち込まれた本を“単なる古本”としては査定しません。店主は、その本に刻まれた傷、ページに挟まれた栞代わりのレシートやメモ、あるいは余白に記されたかつての持ち主の筆跡、時には挟み込まれたまま忘れ去られた紙幣から、その本が辿ってきた“時間の重み”を読み取り、敬意を持って向き合っていきます。
その過程は、その本と共にあった“誰かの人生”を肯定する作業に他なりません。初版なのか、希少本なのか、人気ジャンルなのか、といった本そのもののスペック(データ)のみならず、誰かに読まれ、その人の血肉となって本としての命を授かった“物語”を見ていくのです。
例えば、一般的に所持していた人の蔵書印が捺してあったりすると査定が下がることもありますが、十月堂店主は「うちはあんま(原文ママ)気にしないです。それも古本の醍醐味じゃないですかね」と、静かに肯定します。
往々にしてインナーコミュニケーションにおいて失敗が起きる場合、それは相手を属性で括る“※1”から始まります。相手を理解したつもりになる“ルーチン作業”は、コミュニケーションを終わらせる思考停止を招きます。
十月堂店主のように、情報を受け取る側が、その“背景”や、その情報が相手の仕事にどう関わるかという“プロセス”に敬意を払うということ。
その「あなたの状況を理解しようとしている」という姿勢は、“極めて誠実なコミュニケーションの探求”の第一歩であり、組織における信頼の種火となり、円滑なインナーコミュニケーションをもたらします。

“手放すこと”の言語化
本を古本屋に“売る(手放す)という行為”は一つの過去との決別であり、新しい誰かへの“継承”であるということを本作品では様々なエピソードで語っています。
そして、十月堂にやってきた本は不良在庫となってしまえば、十月堂店主自身の手によって捨てられる(手放される)ことになります。
十月堂の常連、小泉さんは言います。「誰も読まなくなった本は、いつか誰かが終わらせなきゃいけないしね」と。そして「心ない人に買われるくらいなら、心ある人に捨てられたい」とも。
この“手放す”という行為には、単なる“廃棄”ではなく、その本から何を得て、なぜ今それを手放し、次の誰かに何を託したいのかという、その“意図”を十月堂という媒介を通じて言語化するプロセスが含まれています。
多くの組織では“業務上の情報共有”は行われますが、“その情報をなぜ今共有するのか”という“背景の共有”は軽視されてしまうことがあります。
「この資料の共有目的は、次のプロジェクトのヒントにしてほしいという意図からです」
「この報告が遅れたのは、数字の裏付けに慎重を期したからです」
こうした“コミュニケーションの意図についてのコミュニケーション”を厭わない姿勢は、組織の風通しを劇的に変えていきます。
十月堂店主が本を媒介にして過去と未来を繋ぐように、自分の発信の意図を事前にシェアしておくことは、不要な誤解を避けるための“心のインフラ整備”となるのです。
“静かなる質”という“量の対極”へ
十月堂は、流行やランキングとは無縁というスタンスで、古本量販店とは一線を画しています。それは十月堂店主の、売れるか売れないかという“市場の空気”に流されることなく、その一冊が持つ固有の価値を見つめ続ける姿勢が物語っています。
たとえその一冊がボロボロであっても、そこに“誰かの思い”が宿っていれば、それを聖域のように守り抜きます。彼が守っているのは、個人の真実が組織の荒波に消されないための“居場所”なのです。
以前(←『正反対な君と僕』の回にリンクをお願いします)、インナーコミュニケーションの最大の敵は“同調圧力”という話をしましたが、“情報の洪水による※2”もまた然りです。
十月堂の持つ静謐な空気は、無価値なノイズを排除し、価値ある沈黙という“質”を見極めた“独自の審美眼”にあります。
組織においてもまた、情報の“量”で安心を得るのではなく、“特定の誰かにだけ深く届ける”という対話や、深い思索を許容する“静かなる質”を設計しなければなりません。これは、“上質な余白”の提供をもたらします。
そして、それは“単なる空き時間”とは本質的に異なり、情報やタスクの洪水から一時的に解放され、それぞれが思考を深め、感性を整えるための“聖域”が確保できることにつながります。
インナーコミュニケーションの“誠実な探求”
組織において、どれだけ洗練されたシステム(やルール)を構築しても、そこに“誰かの体温”が乗っていなければ、それはただの空洞です。
そこには、十月堂に見る“所有の放棄”による“最も必要としている人へ最適な形で受け渡す”という思いがなければ、売るほどある情報を機械的に流すだけとなってしまい、やがて“言葉(思い)が持つ力”そのものが失われていき、インナーコミュニケーションの崩壊へと向かっていくことになります。
インナーコミュニケーションを“誠実に探求する”ということは、お互いの“プロセス”や“意図”や“思い”を尊重し合う“ギフトの交換”でもあるのです。

尊重し合うという“自由へのバトン”
この作品では、本にまつわらないエピソードも語られていて、そんなエピソードにも、“誰かの思いを尊重する”という軸がブレることなく、存在しています。
「こうあるべき」「自己流はダメ」「人の好みを否定する」「自分だけの常識の押し付け」などのように、お互いを尊重し合う姿勢が損なわれるようなことは避けねばなりません。
もちろん、組織においても然り。
エピソード5において、ある夫人は偶然知り合った女性にこう言います・
「たぶん、アナタはアナタが思うより、自由よ」と。
こんなコミュニケーションが自然にできたら素敵な関係が築かれることでしょう。
あなたの送ったメールや、会議での一言は、誰かの業務に新しい視点を灯す“自由へのバトン”になっているでしょうか?
※1)情報のバルク処理:大量のデータを個別に扱わず、ひとかたまり(バルク)として一気にまとめて処理すること。例えばデータ1件ごとに「読み込み→加工→保存」を繰り返すのではなく、1,000件や1万件を「まとめて読み込み、一気に保存する」ようなイメージで、主に処理スピードの向上を目的として行われる。
※2)心理的飽和:様々な(あるいは、同じような)情報が大量にインプットされ、それ以上続けるのが嫌になる『心の満腹状態』のこと。作業の内容は理解していても、心理的な拒絶反応によって効率が極端に落ちたり、意欲が消滅したりする現象にもつながる。

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