りえぞん企画とは
テーマとして掲げてはみたものの、実はとても難しいテーマで、どこから何を書くべきか決めあぐねているのが正直なところです。
当社のアウトラインや何ができる会社なのか?はコーポレートサイトやオウンドメディア「社内報ラボ」にも記載がある通りですが、30年を超える当社の社歴の中での一番大きなトピックは、やはり2006年のMBOでした。
それを避けて今の当社は語れないほどの「変化」でしたので、このブログではそんな辺りに触れて書いてみようと思います。
丸紅株式会社からMBOを実施して以降、最初に着手したのは営業体制の強化でした。
それまで、丸紅および丸紅グループの仕事が大半を占めていましたので、グループ以外の仕事を増やしていくための当然の第一歩でしたが、これが言うは易しで覚悟はしていたつもりでも、実際にやるとなるとかなりカロリーの高い取り組みでした。
外向け(丸紅グループ外の意)に営業するために必要な会社案内や実績集、コーポレートサイトを取り揃えるのはもちろんのこと、一番は営業する体制の整備でした。
新たに人材を採用し、売り物を作り、営業先のリストを作り、という目に見える整備に加え、これまでとは違う仕入先の開拓や、当社とより近い関係で協働していただくパートナーと称した企業やフリーランスの方々との取り組み、そして人材のマインドセットを変えていくことなど、手に取ることのできない目に見えないアセットも同時に構築する必要があり、「営業する」ことの大変さを身をもって実感した時間でした。
もちろん、現在も私自身「営業」が一番難しい仕事だと思っていますし、これでよしという終わりも無いとは思っていますが・・・。
一般的に民間企業において「営業する」という行為、殊に新しいクライアントを獲得するためには、死に物狂いは今の時代言い過ぎかも知れませんが、必死に知恵を絞って汗をかいているわけですが、MBO前までの当社は本当の意味で厳しい営業をやってきたわけではありませんでした。
正確にはやる必要がなかったということであり、いかに丸紅グループという恵まれた環境にいたかということも改めて知ることができました。
そして外に営業をしていくと、提供できるサービスの幅を広げる必要があると思わされる場面にも多く遭遇します。
「こんなことできますか?」「こんなことで困っているのだけど」というクライアントの声は、言うまでもなく新しい仕事のチャンスでもあり、それを見過ごすわけにもいきません。
今思えば、背伸びして獲った仕事や根拠に乏しい提案も結構ありましたし、受注後に慌てて体制を整えることもしばしばで、危うい状況もありました。
足元が万全に固まってから動き出すのでなく、走りながら整理をしていくことで、それが会社にとってのスタンダード=定番のサービスに根付くことも多く、これらの経験から仕上がり60%で走り出すことは決して悪くないという教訓も得ました。
こうした試行錯誤や失敗をいくつも繰り返した結果、現在につながる多くのサービスラインナップを取り揃えることができ、企業コミュニケーションの課題をワンストップで提供できるようになって参りました。
これはMBOというある意味退路を断った決断に因るところもあったわけですが、営業をしていくうちに、経営をしていくうちに、この多様なサービスラインナップには功罪両方あるものだと感じることもあります。
この辺りの話にはもう少し紙幅が必要なので、また別の機会で書いてみたいと思います。