社長ブログ

2024/01/30

徒然に、本の話しでも

徒然に、本の話しでも

本を読むことが最近減っていると実感している。

読み漁るように読書をしまくって来たかと言えば、そういうわけではなく、むしろ昔は好きではなかった。

むしろ、読書による知識より実体験に勝るもの無しと、ほとんど言い訳のような大義を掲げ、避けてきた口だ。
そんな中でも細々と読むこともあり、久しぶりに書棚を見てみれば、ジェフリー・アーチャー、フレデリック・フォーサイス、ジョン・ル・カレ、サマセット・モームと、偏り過ぎたジャンルであり海外モノが多いことに少し驚くが、まさに散読そのものだ。

最近でこそ偏り無く、売れている本や、読んでいないのはちょっと恥ずかしい、といった類の本も読むようになったが、中でも一番ハマり、本を読むことは楽しいことだ!と教えてくれたのが、高村薫だ。もとい、高村「先生」だ。

初めて触れたのがもう30年近くも前になる「レディ・ジョーカー」だ。

日本人離れ?した大がかりなストーリー構成、膨大な時間を費やしたであろう綿密な取材に裏付けられた時代性、そして硬派で胸に染み入る文体など、時間を忘れて読み入った経験も生まれて初めてなら、同じ本を立て続けに3回読むのも初めてだった。何と言うのか、自分にとっては何かあったら立ち返る本となっていて、通算で何度読んだかは覚えていない。

そこからこの方、先生の本は短編を含め全て読了している。

僭越ながら先生の文体も思考も、それに伴う作風もどんどん変わっていき、その都度刺激をもらっているが、時代を象徴する、つくづく考えさせられる事件や災害」をモティーフにしていること、そして主役はもちろんのこと脇役までの登場人物1人1人のキャラクターを直接的、間接的に丁寧に描写しており、人は生きていること自体が尊いとする、先生の人間に対する暖かい眼差しを感じることができる。

その一方で、人の性でもる生々しい業や息遣いや切なさをノンフィクションさながらに表現している点が、全作を通じて変わらず貫かれていて、そこに魅かれ続けているのだ。

ある時期は「先生、混迷の時代に入ったのかな?」と素人でさえ感じてしまうほどの難解な文体で、誤解を恐れず言えば読み進めにくく全体感が掴みづらい作品もあるが、それでも私にとっては得るものの多い書物・作品であるのは間違いなく、まだ触れたことのない方には全力でおススメしたい作家なのだ。

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