愉しい時間
先日ある仕事で「バン・ライファー」を取材する現場に立ち会った。
バン・ライファーとは、クルマの「バン」で生活を送る人々を表す造語だ。定住の場所を持たず、文字通りバンで暮らす人で、国内にも一定数いると言われている。
今回取材したのは、20代中盤に差し掛かるかどうかの若い女性だ。大学在学中から試験的に?バンで生活し、やってみたら意外にできるものだと実感し、今では季節に応じて、気が向くまま、会いたい人や見たい景色を求めて全国を移動しながらバンライフを楽しんでいる。
もちろん、仕事もしているのだ。当然だが、バンの中でだ。バンライフを始めたきっかけや、メリットとデメリットなどは一旦横に置いておく。
興味を持ったのは、その表現力だ。取材時の自分のことを話す言語化能力ももちろんだが、生き方の表現力というのだろうか。
どう生きたい、だからこういうスタイルだという表現を、話したり書いたりするだけでなく、実際にカタチにして実現する「チカラ」としての表現「力」に、ちょっと心を揺さぶられた気がした。
誰しも人生において、ターニングポイントや変化のタイミングはあると思う。そして、それによるワークスタイルとライフスタイルの変容が起こり、当然に、それによるストレスも想像される。
そんなことが想像できると、変化を諦める向きも多くいるはずで、実際、転居を伴うものや、生活の時間帯が変わるようなものには二の足を踏んでしまうのは、よく理解できる。
彼女がこのスタイルをこの先ずっと続けていくか、それは分からないし本人も分からないのだろう。
でも彼女の話しを聞いていると、その時に興味を持った分野やライフスタイルを、自らに偽ることなく真っすぐに進んでいくのだろうと、不思議と説得力を持って思うのだ。
もはや自分が意の向くままだけに生きていくことも許されず、年齢のせいにはしたくはないが、久しぶりに若さとその信念に羨ましくも清々しい気持ちになった。
Mさん、愉しい時間をありがとう!
出張すると、
当社のスペースビジネス部で担っている、大学の学部新設に伴うキャンパス改修の企画/設計という仕事で、北九州に行ってきた。
新設の学部は、栄養学×IT(テクノロジー)という日本でもまだ新しいチャレンジの分野で、その分野ゆえ特に、最近の大学の例に漏れず産学官連携に力を入れていて、実践的で積極的なアクティブラーニングを享受できる学部なのだ。
その改修工事の起工式にお邪魔してきたわけだが、そこで聞くことのできた話しもやはり興味深く、自分が通うわけではないものの、今から来年4月の開設が楽しみである。
未来を担う人材を育成する。なんと良い響きなんだろう。
決して明るいばかりの将来じゃないかも知れないけど、その課題に向き合い、解決にあたる仕事と、その人材を育む仕事は、意義深い。
そんな、少しばかりのご縁をいただいた北九州なので、町の成り立ちや歴史などを知りたくなるのも人というもので。そもそも北九州市は5つの市が対等合併したようで、その面積は福岡県で最大。
どうしても福岡県イコール博多だし天神だし、というイメージだけど、城下町、港湾業、貿易港、重化学工業などで高度経済成長期を支えたという意味では、北九州のほうが歴史も都市としても古いようだ。
そんな歴史もあり、産業も発展していたためか、やはり街が大きい。面積ももちろんなのだろうが、道路付けも広く、見た目インフラも整備されてそう。
本気でそう思っているわけではないが、最近は出張で地方に行くと、「仮にセカンドライフを送るなら」という視点で街を見てしまうのが習い性になりつつあるのだ。
今回もやはりそんな目で見ているわけで、あまりに自然豊かで都市機能が乏しい場所だと、そりゃ環境としては良いのだろうが、年を重ねた後の実生活を送るとなるとかなり不便だろうしと、毎度勝手な言い分を自分で並べながら小倉や門司の街並みを眺めてみると、十分に都市だし交通インフラもあり病院も多くて、北九州、全然アリ!と思うのだ。残念な一方、止むを得ない防災対策によって再整備されてしまう旦過市場に再訪しつつ、今度は1日余計に滞在して街の生活も見てみようか。
愉しみある人生に!?
去年からなのでまだ2回目ではあるが、クラシックカーのラリーに参加している。あくまで趣味の話ではある。
このラリー、というかイベントは、テレビなどで観る公道を常軌を逸したスピードでカッ飛んでいくそれなどでは当然なく、コドライバーと呼ばれる同乗者とチームで、コマ図という目的地までの道順を絵で書いた図を一緒に読み進めながら走るものだ。いわば、往年の「ラリースタイル」にリスペクトを払いつつ、現代的にアレンジを利かせたラリーの祭典である。
そんな背景だから、参加するクルマも古くは100年前から新しくても30年ほど前までと、いわゆるクラシックと呼ばれるものが約70台、長野県小海町に集結する。そこを基点に八ヶ岳、美ヶ原、野辺山、原村など長野と山梨が誇る風光明媚で乗って楽しいドライブルートもといラリーコース200kmを巡る、今年で33回目の開催を数えるクラシックカーラリーの草分け的存在だ。
このイベントを知り実際に参加しているのは、仕事を通じて主催者と知己を得たからであるが、書いた通り100年前のクルマを筆頭に60年前50年前のクルマが一堂に会する様子は圧巻で眼福の一言に尽き、初めて目に、耳にするクルマも非常に多く、そうしたクルマたちと絶景を堪能しながら一緒に走れることが、自分にとって最高の休日になっているからである。
私は嬉しいことに娘と参加しているが、参加者もまた、夫婦の共通の趣味として参加されるパターンから、クルマにストップウォッチを増設するような本格派、昔の同級生と、会社の同僚と、などチーム編成も様々だ。エントラントの多くが中高年であるのは事実だが、100年前のクルマを駆る80代のエントラントを筆頭に、多くはこうした人生の愉しみを持つ方ならではの、年齢を超えた元気と若々しさが漲っている。“オレモマケテラレナイゼ”と去年も感じたが、人生の先輩方にはただただ頭の下がる思いだ。
また、イベントは参加することももちろんだが、こうしたクルマがドサっと集まる機会もそれほど多くないためか、見学者も思った以上に多い。とりわけ目を引くのが若い人だ。去年、そして別イベント(このイベントは小海以外で@京都、@姫路、@東京でも開催)でも一定数の20代の見学者がいて、長玉を付けた本格一眼やスマホで必死に撮影をしている姿を見ると、「今ドキの若い人はクルマに興味がない」は必ずしも言い得ているわけじゃないなと思うのだ。
そんな自分はというと、スマホで撮った写真を見返しながら「来年は別のもっと旧いクルマで出たいな~」などとあらぬ妄想を一人膨らますのだった。
新しいスタート
4月は何かと新しいことが始まると世間一般的には認識されていて、当社もクライアントの入社式の取材撮影に行ったり、新社長紹介のコンテンツを制作したりと、街中で見かける初々しい姿でそれを実感するだけでなく、仕事を通じても世の「始まり」を感じている。
そんな始まりの季節に、当社にとっても大きなスタートを迎える出来事があった。私たちにとって初めての経験であるM&Aによる株式譲受である。
4月1日にクロージングし、新たな仲間たちを迎え入れ、文字通り新しいスタートを切ることとなったのだ。
もっとも、当社のグループにジョインはするけど独立した法人を維持するので、いわゆる合併というスキームではないのだが、一緒に働く者として相互理解の上、融合は欠かせない。
新たな仲間たちは、当社にとっても以前より強化したいと願っていた分野である、デジタルマーケティングやデジタルコンテンツを主業とする会社なので、当社グループのデジタル部門をそのまま担っていって欲しいと思える、頼もしい存在だ。
言うまでもなく、M&Aは合併か否かを問わず、譲受してからがスタートだ。冒頭にも書いた通り、ここから多くのシナジーや学びを与え与えられながら、成果を出していくスタート地点である。
広告関連の制作をメインで手掛けるグループ会社、りえぞんプロダクツ社との協働でも大きなプラスを産んでいかなければならない。
グループ3社によって人も増えた。やることも増えた。どこから手を付けるべきか分からないこともある。全ては走りながら対応していかなければならない。
そしてここに集うみんなは、性格もスキルも仕事観もライフスタイルも多様である。
でもこの多様さは、純粋培養のような組織よりも強かかつ柔軟であるとも思っている。
そんな多様な私たちには、私たちをつなぐ、グループのスローガンがある。
mind merge: the power
ここに込めた「人や企業の想いをつなぎ、カタチにして、それに触れる方々の未来を創り出す力となる」というパーパスをみんなで共有共感し、クライアントの皆さまに新たな価値を創造していこうと、この新たなスタートにあたって改めて思うのだ。
今年の通信簿?
毎年2月中旬は経団連による「経団連推薦社内報審査」の発表時期であり、社内報の発行者である私たちのクライアントにとって、そのクライアントから制作を請け負う私たちにとって1年の成績、言わば通信簿を受け取る時期でもあるのだ。
ご存じない向きには少々マニアックに聞こえると思うが、文字通り、経団連(正確にはその外郭団体だが省略)が識者をアサインして経団連会員企業の紙の社内報、デジタル社内報、映像社内報など各種カテゴリごとに審査する年に1回の社内報コンテストである。
社内報はその性格上、あまねく広く社外に出るものではなく、実は発行者のクライアントも、制作を請け負う我々も、なかなか客観的に自分たちのアクティビティを評価判断する機会が乏しいのが実情で、こうしたコンテストは受賞できたか否かも大事だが、発行そのものや編集方針を客観視できる貴重な場でもあるのだ。
とは言え、である。お手伝いしているクライアントが、錚々たるエントリー企業の中から受賞するかどうかはコンテストの焦点であるし、クライアント側も、ドキドキワクワクしながらこの時を迎えているのは否定しない。
手前味噌な話しで恐縮だが、果たして今年はなんと、当社がサポートしているうち5社が受賞したのだ。受賞の種類はここでは割愛するが、それでも評価が可視化され第三者によるコメントが付くと、非常に分かりやすいし、これまでの活動が間違っていなかった証左にもなり、何より純粋に嬉しい。
制作する私たちだけの力量ではなく、クライアントの発行の意思無くなし得ないのだが、両者の協働によって得られる達成感は社内報というジャンルにおいてはこれ以外にほぼなく、何と言うのか、1年間の関係者の頑張りが報われたように思えるのだ。
クライアントにとっても社内報を発行している広報部などは、営業や事業部と違い、実績や効果が定量化しにくく、活動に対する評価が難しいのが普通だ。こうした意味でもクライアントのコーポレート部門が然るべきところから評価を受けるのは、社内的にも有効で担当部の働き甲斐やモチベーションになっていて、その結果、私たちもこの仕事の誇らしさとやりがいを実感できるのだ。
社内報発行や制作は、パッと見は外にも出ないし地味な印象ではあるが、それを発行している多くは日本を代表する企業だし、海外での収益が大半を占めるようなグローバル企業も非常に多い。
そうした企業の従業員が身近に触れることができ、自らを知り、自らのアイデンティティに立ち返るメディアが社内報であり、それに触れることによって働く意欲や、未来を創っていく力となっているのだとしたら、私たちの仕事、とりわけこの仕事をしている当社の従業員を誇りに思い、この時期ばかりはその喜びに浸ることができる。
そして来年もと、提案者としてクライアントにワクワクを与えられるよう心新たにするのだ。
参考:経団連推薦社内報審査
https://www.keidanren-jigyoservice.or.jp/seminar/cat8/cat1/
徒然に、本の話しでも
本を読むことが最近減っていると実感している。
読み漁るように読書をしまくって来たかと言えば、そういうわけではなく、むしろ昔は好きではなかった。
むしろ、読書による知識より実体験に勝るもの無しと、ほとんど言い訳のような大義を掲げ、避けてきた口だ。
そんな中でも細々と読むこともあり、久しぶりに書棚を見てみれば、ジェフリー・アーチャー、フレデリック・フォーサイス、ジョン・ル・カレ、サマセット・モームと、偏り過ぎたジャンルであり海外モノが多いことに少し驚くが、まさに散読そのものだ。
最近でこそ偏り無く、売れている本や、読んでいないのはちょっと恥ずかしい、といった類の本も読むようになったが、中でも一番ハマり、本を読むことは楽しいことだ!と教えてくれたのが、高村薫だ。もとい、高村「先生」だ。
初めて触れたのがもう30年近くも前になる「レディ・ジョーカー」だ。
日本人離れ?した大がかりなストーリー構成、膨大な時間を費やしたであろう綿密な取材に裏付けられた時代性、そして硬派で胸に染み入る文体など、時間を忘れて読み入った経験も生まれて初めてなら、同じ本を立て続けに3回読むのも初めてだった。何と言うのか、自分にとっては何かあったら立ち返る本となっていて、通算で何度読んだかは覚えていない。
そこからこの方、先生の本は短編を含め全て読了している。
僭越ながら先生の文体も思考も、それに伴う作風もどんどん変わっていき、その都度刺激をもらっているが、時代を象徴する、つくづく考えさせられる事件や災害」をモティーフにしていること、そして主役はもちろんのこと脇役までの登場人物1人1人のキャラクターを直接的、間接的に丁寧に描写しており、人は生きていること自体が尊いとする、先生の人間に対する暖かい眼差しを感じることができる。
その一方で、人の性でもる生々しい業や息遣いや切なさをノンフィクションさながらに表現している点が、全作を通じて変わらず貫かれていて、そこに魅かれ続けているのだ。
ある時期は「先生、混迷の時代に入ったのかな?」と素人でさえ感じてしまうほどの難解な文体で、誤解を恐れず言えば読み進めにくく全体感が掴みづらい作品もあるが、それでも私にとっては得るものの多い書物・作品であるのは間違いなく、まだ触れたことのない方には全力でおススメしたい作家なのだ。
2023年の振り返りと2024年の展望
皆さま新年あけましておめでとうございます。旧年中は関係する皆さまには格別なお引き立てをいただき、厚く御礼申し上げます。本年も皆さまのお役に立てるよう尽力して参りますので、引き続きよろしくお願い致します。
前年踏襲型ではありますが、今年も昨年同様のタイトルと内容で今年初めてのブログを書きます。
昨年当社にとって一番のトピック、ことに社内における話し、は当社の新VIとスローガンの制定でした。社外の方も目にするという意味では、「社内の話し」だけではないのだが、当社におけるインターナルブランディングの側面も大きく(というか私自身が意識したということ)、あえて社内での一番のトピックと書いたのである。
紺屋の白袴にならぬようと心に決めながらも、なかなかどうして自分たちの会社のことが一番道半ばで終わったしまった1年であったと反省も。一言でいえば、やり切れなかったに尽きると思うので、今年は細かいところを厭わず口や行動で表現しようと思うのだ。
もう1つは少々抽象的な表現だが、クライアントをワクワクさせられたか、ということだ。
話しは少し飛ぶが、去年のある時、自社で制作した某クライアントの大きなコンペの提案書を目にする機会があったのだが、これが何と言うのか、自分で言うのも憚られるし、逆に何を今さらと言われるかも知れないが、非常に素晴らしいプロポーザルだったのだ。
クライアントのRFP(要件定義や与件)に沿った、スキが無く、しっかりとロジックに根差した説得力もある提案で、古くから在籍する私としては感慨深くさえある本当に完成度の高いものだった。が、このコンペ、負けました。
なんでだろう?私が提案書を目にしたのは、結果が出る前。その時、実は2度読みしたのだ。その理由は、完成度も高いし腹落ちもしやすいしRFPにも沿っているけど、何かが足りていない?が浮かぶから、だったのだが、2度読みして感じたことが冒頭のワードだったのだ。
「素晴らしいけど、トキメキ的なモノあるかな?」と。負けの理由も後日聞くこととなったのだが、それがその「ワクワク・トキメキ」に似たようなニュアンスだったのでなおさら、クライアントも似たような感情を抱いたのかも知れないと思い至ったのだ。
私自身もこれまで多くのコンペに参加し、勝ちも負けも経験して得た教訓や答えは、コンペは結局のところ水物だし正解は無い、ということ。でも経験を積んでいくうち、立て板に水が如く、ロジカルに流れるような何なら格調高い提案は達成感も大きいし、それによって提案する私たちの格が上がるような高揚感を得られるのだが、同時に、理屈や格だけじゃない右脳で「感じてもらう」提案も必要であることを知るのだ。
つまり、私の頭に湧いた足りない何かも、判断するクライアントの側も、きっと言語化できない「何かを感じた」のだろう。そしてこの「何か」がきっと、理由の無い「楽しそう」「良いな」という、ワクワクやトキメクの正体なのだろう。
具体的にそれが何かは状況やコンペによって様々変わると思うが、「私たちならこう考える」とか「こうした方が良い」という、クライアントをアッと言わせたり、そう来たか!と思わせる、私たち提案側の意思や感性を可視化することではないだろうか。
結局は、こうしたある意味想定外の提案を受けることで、心の揺らぎが産まれワクワクが創り出されるのだとしたら、今年の私たちは今一度コンペのイベント性や醍醐味を思い出して、想定外の面白さやといった提案で、クライアントの心の揺らぎをたくさん作っていきたいと改めて思うのだ。
そんなマインドセットでこの1年取り組んでいくつもりですが、果たして吉と出るか凶と出るのか?それは前述の通り、正解や答えの無いコンペのこと、結果は神のみぞ知るということでしょうか・・・。
1年に1度のありがたさ
一年に一度、伊勢神宮に参拝をするのがこの7年のルーティンである。初めて参拝に訪れたのが2017年なので、今年で7回目を数える。特に信心深いわけではないし、寺社仏閣やその歴史に明るいわけでもないが、あるきっかけから始めた参拝は毎度、7回目の今回も、少しだけ特別な参拝法と相俟って心が洗われる思いだ。
良く知られた話しではあるが、伊勢神宮に限らず神社には何かをお願いするために上がるのではなく、お礼、感謝を述べるために参拝すると言われる。
自分で書くと何とも面映ゆくてキレイごとのよう聞こえるのだが、私が参拝に行っているのも、また今年も会社が継続できています、ここに来ることができました、健康でいられます、のお礼をしに行っているだけなのだ。ただそれだけ。でもそれで十分だと思っている。
参拝に大きな意味を見出す必要もなく、何かに必要とされ、何かによって生かされていることを、年を重ねることによってより感じるのか、自分がいかに恵まれ、それだけでありがたいと思え、それをお礼しに行くだけ。でもこうしてあまり構えることなく、信心深くもない男が気楽にお礼を述べに行ける参拝は、きっと日本のおおらかな信仰感にもマッチしているだろうし、神道も仏教も他の宗教も共存できている国ならではのスタイルなのだろう。
もちろん鷹揚に受け入れられていると感じながらも、私もできれば静謐としていて凛とした空気感を味わいたいので、8時には外宮に向けて出掛けるようにしている。さすがにまだこの時間であればそれほど混んでいないし、砂利を踏む自分の足音も心地よく聞こえてくるので、雰囲気に浸りたい場合は早めの朝がおススメ。
ついでに門前の赤福内宮前店も、午前中であれば空いているので座って「盆」(赤福+番茶のお盆)も楽しめるからなおさら。参拝が終わると、今年も参拝できたことを皆さまに感謝、そして翌年もここに来られますよう日々真剣に生きていこうと、不思議なもので本当に感じるのだ。
言わずと知れた人気スポットではあるが、皆さんも毎年お礼をしに伊勢に運ばれてはいかがか。
人の振り見て我がDX進めろ?
何かに病んでかかっているわけではないのだが、某大学付属の大病院で1年に一度「経過観察」として検査を受けている。初めて診てもらったのが、コロナ禍真っ只中の2021年の秋。ほぼ病院のお世話になることがないわたくし、病院ネタはほぼアップデイトできていないので今や当然なのかも知れないが、あらゆることがデジタル化され、『大病院イコール時間が掛かる』の図式が半日で見事に覆されたのである。
初診は問診、診察カードの発行があるのでさすがにここは人が関与するのだが、再診においては受付、診察、会計、支払が全てデジタル化され、それゆえに全てがシームレスに繋がって、時間がほとんど掛からないのである。
システムや機械で代替できるところは代替され、人にしかできない医療の部分はしっかりと人の手が残っているという、ちゃんとメリハリが利き、ビジネスなり経済原理も働いているようで感心させられた。
でも本当は、スムースなのはコロナ禍で患者数が少ないから?という見立てもしたのだが、今年改めて行ってみると、スピードはこれまで通り。患者数が通常に戻った今も、しっかりとデジタルが機能していて、新しい病院の姿を実感したのだ。
しかも、この1年でアプリも導入されたようで、診察カード代わりのQRやクレジットカードへのヒモ付けなどで、診察後は会計と支払いが不要でそのまま帰れるという、さらに時短が図れて利便性が上がっていたのだ。
病院DX、恐るべし。
こうした日常でDXによる利便を実体験すると、行政サービスなどは一体どうなっているの?と嘆きたくなるのだが、それはまた別の機会として、まずは我がこととして自分たちの仕事や会社においても改善の余地は多いなと感じるものである。メリハリあるDX、つまり人手とデジタルの最適な使い分けは、労働集約型の当社のような業態に本当は一番有効なのかも知れず、もはや「人がする仕事だから」を言い訳にしてはならないのだろう。
1000キロのグランドツーリング
仕事ではあるが、ここのところ最新のEVに乗る機会が増えている。先月も最新ドイツ製高級EVを用いた雑誌のタイアップ企画に立ち会ったのだが、そのEVの一番のセールスポイントは、航続距離。EVといえば当然動力や操作のすべてを電気で賄うわけだが、搭載する電池容量の大きさによって満充電で走れる距離も大きく変わってくるのだ。
例えば、20kwの電池であれば180キロ、60kwの電池であれば400キロといった具合で、各社が公表する航続距離は必ずしも一様ではないものの、容量と距離は比例して増えていく。
前置きが長くなったが今回のドイツ製最新EVは、搭載電池の容量が100kwとこれまでで最大の容量を誇り、航続距離も700キロに届かんというモデル。そこでその訴求ポイントを実証しようというのが、東京から富山までの約500キロのグランドツーリングという企画である。
航続距離はともかく、この500キロにおよぶロングドライブで何が一番印象的だったかと言えば、疲労の無さ、である。某社謹製の上位モデルだから、自動運転もとい優れた運転支援システムがあるから、などなど理由はいくつもあるだろうし、それは確かにそうだろう。
でも改めて感じたのは「音」だ。そう、ほぼ音がしないのだ。
正確には音の記憶が無いのだ。当たり前だが内燃機関特有の唸りも、マフラーから出る排気音も無い。聞こえてくるのは微かに聞こえる車体の風切り音とステレオからの音楽だけ。音による疲労は何となく想像に難くないと思うのだが、何時間もそれなりの音にさらされるクルマのロングドライブにおいて、音から解放されることがこれほどの疲労軽減につながるのだと、身を以て実感させられた。
時間にして4時間少し。トイレで停まった以外はいわゆる休憩無しのこの時間は、快適の一言。体感としては、え?もう富山?が本当のところだ。自身、4年ほど前に金沢までクルマで行った経験があるが、富山と金沢の違いはあるとはいえ、疲労の大きさは比べものにならず、これは誇張なく、充電さえ考えなければ片道500キロくらいであれば日帰りも十分可能なクルマだ。
最新の高級EVは、必要な時に必要なだけスピードが出て、運転支援システムで巡行でき、その上静かで、控えめに言って「高速道路最強」じゃないかと往復1000キロにおよぶグランドツーリングを通じて実感した。
もっとも、大容量電池であっても短時間で充電できる「急速充電器」の必要性や、そもそも充電スポットの数の拡充など、メーカー各社だけでない行政レベルで取り組むべきインフラ整備に大きな課題があるのは事実だ。
が、2日間に亘ってEVと付き合ったが、内燃機関ノスタルジーだけじゃ分からないこと、そして旅の手段としてこれも選択の1つだ、ということ。新しいことは、まずは体験することが肝要だ。
もっとも、この経験を富山出身者に話したところ、「新幹線なら2時間ちょっとで富山だよ」と身も蓋もないことを言われ、その速さに驚くとともにまず経験すべきは北陸新幹線で北陸に行くことか?というオチもついた。
果たしてEVは新たな旅の選択となり得るのか、いろいろと考えさせられた経験であった。